第8回コラム
ミシン糸の話
縫い物に欠かせないもののひとつに、縫い糸があります。
縫い物をされる方ならご存知かもしれませんが、一般に知られたミシン糸の銘柄は、洋裁屋さんでよく見かける「シャッペスパン」です。
シャッペスパンの「スパン」とは、短い繊維を撚り合わせて糸に成形したものを指します。
クモの糸のように、一続きの細い糸を撚り合わせて作った糸は「フィラメント」といいます。
「カタン糸」は、コットン100%のミシン糸のことです。(以降カタン)
なぜ「カタン」かと言うと、ネイティブな外人が「cotton」と発音したのを、そのままカタカナにしたと言われています。
ポリエステル100%のシャッペスパンは、ポリエステルを短く切った繊維で作られたミシン糸ということになります。
シャッペスパンは商標であり、業界用語では「ポリエステルスパン」や、単に「スパン」と言います。(以降スパンとします)
シャッペスパンは、太い順に#20(番手)・#30・#60とあって、家庭用でよく使うのは#60。
家庭用ミシンで縫えるのは#30がほぼ限界で、#20は太すぎて針に通りづらく、糸調子も出にくいですが、下糸を#30にすれば若干改善します。
ジーンズでは、表のステッチが#8または#20、地縫い(=表に見えない縫い合わせのこと)とロックが#30が一般的です。
中には#0という、たこ糸ほどのド太いステッチのジーンズも存在します。
このように、ミシン糸も縫うものや用途によって、様々なものが存在します。
さて、これからが本題。
ジーンズ1本に使うミシン糸って、どれくらい使われているか想像できますか?
#30で100m巻きのシャッペスパンの半分の50mくらいとお思いではないしょうか?
いえいえ、答えは、ごく普通の5ポケットで、なんと250m!
表のステッチだけでなく、裏側のロックなどもありますから、これくらいは平気で使うのです。
ジーンズ1本に、シャッペスパンが実に2本半使われている事になります。
amazonで検索すると、1つ350円ほどですので、シャッペスパンで作ると900円近くになります。(工場で買う糸はもっと安いですよ)
工場で実際に使うのは、下の画像のような、20番手で4000m、30番手で5000mという巨大なもの。
しかも、部分部分でオレンジ・イエロー・グレー・ネイビーなど色を変えてますし、美しい縫い上がりのために、番手も#20・#30・#50と使い分けていますから、工場の糸在庫は相当なものです。
そして、ここからさらに深掘り。
ジーンズに使うミシン糸にも様々あって、シェアが多い順に、スパン > コアヤーン > カタンが代表的なもの。
スパンとカタンの構造は前途した通りですが、コアヤーンとは、ポリエステルフィラメントを芯(コア)にして、その周囲をカタンでくるんだ、ハイブリッド構造の特別な糸で、値段はスパンの3倍近い、大変高価なものです。
なぜ、そんなめんどくさい糸があるのかは、ジーンズの長い歴史に関わってきます。
ジーンズが誕生したのは1870年前後で、ポリエステルが誕生したのは1950年前後。
実に80年もの間、ジーンズはカタン糸で縫われていて、縫うミシンは手回し、または足踏みの低速のものでした。
詳しい資料がないので想像ですが、1920〜30年頃には工業用ミシンがモーター化されたと思われます。
モーターのおかげでミシンは高速になったものの、肝心のカタン糸の強度が足りずに、高速で縫うとプツッと切れてしまい、その度に針に糸を通し直さねばならないので、生産効率だけでなく、縫い子さんのストレスが溜まるのも悩みの種でした。
1950年代に強度と耐熱性に優れたポリエステルが開発されるやいなや、ミシン糸はあっという間にポリエステルスパンに置き換わります。
これによってジーンズは丈夫になって、「作業服として」の完成度が大幅に高まります。
ところが、「ファッションとして」のジーンズにとっては、スパンには致命的な欠点がありました。
それは、経年変化をしない=色落ちしないのです。
例えば、コットンのTシャツを長いこと着ていると、だんだん白っちゃけて、色が薄くなって(退色して)味が出てきます。
同じように、ジーンズのブルーもだんだん薄くなって味わいを増してゆきますが、スパンだとステッチだけ新品のままなのです。
わかりにくいですが、上の画像は、それを比較したもの。
右のユーズドのカタン糸のステッチは、もともと中央のワンウォッシュと同じオレンジ色だったものが、加工で退色して白っちゃけて、部分部分で色ムラが出ています。
左のスパン糸は、ユーズド加工なのに、糸だけ合繊独特のテカリがあって、色も新品のオレンジのままで、ムラにもなっていません。
こうして比べてみると、糸のなじみによる、ヴィンテージの「コク」と「味わい」がまるで違います。
じゃぁカタンで縫えばいいじゃんと思うでしょうが、カタンはストーンウォッシュなどのハードなヴィンテージ加工に耐えられません。
そこで開発されたのが、カタンの特性と、ハードな加工に耐えるポリエステルの強さを合体させたのが、コアヤーンなのです。
値段順なら、コアヤーン >> カタン > スパンの順で、価格差も大きい。
安価なジーンズは、ステッチもロックも全て、安価なスパン使いが世の中の大半を占めます。
中価価格帯以上のものは、コアヤーン使いが多いです。
カタン使いは、未加工デニムでは見かけますが、前途した通り加工に耐えないので、ユーズド加工をしたものでは非常に珍しいです。
サキュウはどうかと言えば・・・・
1・ノンストレッチのオレンジ&イエローステッチのインディゴ製品は、全商品が「カタン」
2・ストレッチのインディゴ製品は、全商品が「コアヤーン」
3・ネイビーステッチのインディゴ製品とカラー物は「スパン」・・・で縫っています。
1については、表のステッチをカタンで味を出し、地縫いやロックは強いスパン縫っています。
表面でも、すりきれやすい前後のポケット部分は目立たない色のスパンで補強する一手間を入れて、強度を保っています。
実は、サキュウのような、カタン使いのユーズドジーンズは世の中ではとても希少です。
それはなぜかというと、もの作りをOEM業者に丸投げのブランドが非常に多い産業構造によります。
OEM業者とは、ブランドの製品を作る専門の業者のことで、例えば、「A」というブランドから、Aが指定するデザイン通りのものを、発注通りに作って、納期通りに納品する業者のことです。
意外に思われるでしょうが、一部のデニムメインのブランドを除けば、ジーンズ作りはほとんどOEM業者に丸投げしているのが現実です。
私たちのように、少人数でパターン作りから生産ハンドリング、営業まで自社で行っているブランドは、今や絶滅危惧種に該当します。
私たちもOEM事業で日々経験していた事ですが、もの作りの知識のないブランドほど、商談さえすればモノは簡単に出来上がってくるとでも思ってるのか、サンプルも本番も恐ろしく納期が短いのが常です。
作る側は、トラブルシューティングの時間もロクに与えられず、「エイヤー!」とばかりに短納期で難しいデザインの商品を作らざるを得ません。
それでいて、一般のお客様には全く影響のない、ちょっとした間違いを見つけては、鬼の首をとったように値引きを要求しながら、店頭では定価のまま売って利益だけ得るような、商売相手としてはまことに困った人たちです。
このように、OEMは極力リスクを避けたもの作りになるので、普通は安価で丈夫なスパンか、値段が通る場合のみコアヤーンを使います。
カタン糸はユーズド加工すると、高い確率で糸切れ不良が出るので、どうしてもというなら「ノークレームの念書を書いて下さい」レベルの話になりますが、そんなものを書いてくれるブランドなどありませんから、できません。
できませんから、この世に出ません。
かくいう私たちも、OEMの場合はカタンは受けません。
では、サキュウはどうしてるかというと、私たちは自社で工場を回して納期もコントロールできますから、OEM業者が取る利益も、さし迫った納期もありません。
エイヤー!で力技で作らなくて済む分、たっぷりコストと時間をかけられる訳です。
つまり何のことはない、「カタン糸を安全に守る方法」で、ゆっくり丁寧に縫製と加工をしているだけです。
縫製ではミシンの速度を落として縫い、スパンで補強縫いを追加して強度を確保し、ユーズド加工では生産効率がいいストーンなどの物体を使わず、アタリは人の手で丁寧に付けて、バイオと還元脱色と塩素脱色・オーバーダイなどを組み合わせて色目をコントロールします。
もしOEM業者で同じ事をしたら、価格はあと10,000円は高くなってもおかしくない内容です。
この糸使いは、ハイエンドのアンティークシリーズはもちろん、フレンドシップシリーズにも採用しています。
これほどの手間をかけて、サキュウはジーンズ本来の味わいを追求しています。
2については、カタンは伸縮性のあるストレッチにはさすがに使えず、コアヤーンにしています。
しかし、コアヤーンも完璧ではなく、表面のカタンは退色するものの、芯(コア)のポリエステルフィラメントは退色しないので、味わいの点ではカタンに一歩劣るのですが、そこは強度と味わいのトレードオフとなります。
ストレッチのモダンシリーズとホワイトレーベルに主に採用する糸使いです。
3については、インディゴのボディとステッチを同色にしたい場合、退色するのが逆にネックとなって、カタンでは加工によっては赤っぽく変色したりしますので、あえてスパンで縫っています。
綿麻デニムのフレンドシップシリーズと、ボディ同色ステッチのカラーパンツに採用しています。
こだわればこだわるほど、ミシン糸ひとつにしても、やらねばならぬ部分が多いのです。
サキュウのステッチへのこだわりについては、コチラも参照して下さい → CLICK!