第7回コラム
国産ジーンズ誕生記 その6
日本がオイルショックから脱し、BIG STONEが消滅した後、日本はいよいよ本格的な高度成長・所得倍増時代を迎えます。
所得倍増と言っても、物価も倍増したので、庶民にはあまり恩恵はないと思われがちですが、いやいやそれはデフレ脳です。
インフレの時代は、ローンで買えば実質何でも安くなるのです。
物価は上昇しますが、給料も毎年上がるのが当たり前だったので、10万円の給料は数年後に20万円になります。
給料10万円だった時に組んだ月1万円のローンは、給料が20万円になっても1万円のままですから、ローンで買えば完全にお得です。
1000万円で買えた家は、物価上昇で数年後には2000万円に値上がりしているのですから、ローンで早く買ったらそれだけ得でした。
このようにして、国中のカネ回りがよくなって、景気はバブルに向かっていったのです。
話が逸れましたが、ジーンズはベトナム反戦運動のアイコンになったり、青春ドラマの主役達は必ずと言っていいほどベルボトムのジーンズを着用したり、ジーンズは若者のアイデンティティーとして、需要がピークを迎えます。
東北地区の主だった旧BIG STONEの工場は、旺盛な国内需要に支えられて、復活を果たします。
宮城県栗原市の高畑縫製はリーバイスを、石巻市の東北ビッグストンは独立工場としてラングラーを、秋田ビッグストンは縫製加工業のサンダイヤに買収され、エドウィンの協力工場となります。
東北ビッグストンは80年代半ばには、成長著しいエドウィンの100%協力工場に鞍替えします。
しかし、90年代半ばにはエドウィンとの契約も終了し、規模を縮小しながらも、現在も独立した工場として操業しています。
石巻の本工場は、2011年の東日本大震災で半壊して操業停止となるも、栗原市の分工場に移転して細々と操業を続けています。
洗い工場は、私が知る限り、東北地区には独立系としては3つあり、秋田県能代のジーンズ秋田ダイイチ、宮城県栗原市の千田クリーニング、宮城県大崎市の三松商会。
ダイイチは廃業してしまいましたが、後者の2社は今でも操業を続けています。
そう、長い前フリでしたが、サキュウはここ、旧東北ビッグストンで縫っています。
今では少人数で、サキュウで100%埋まってしまうので、旧東北ビッグストン産のジーンズは世の中でサキュウだけになりました。
社員さんの中には、当時から在職している大ベテランの方がおられ、先のパタンナーのビッグマム、渡辺千代子夫人に至っては、石巻の本社工場の目の前に住んでおられました。
私がキャントンになぞって国産ジーンズの歴史を詳しく語れるのは、他でもない、旧東北ビッグストンの社長から直々に聞いた話しがベースなのです。
とてもここでは書けないトンデモ話まで含めて、昔は色々苦労や笑いがあったようです。
サキュウは、洗いも宮城県大崎市で行っており、「Made in 東北」のジーンスです。
(生地は広島の井原地区のものですから、初期大石キャントンよろしく、半Made in 東北ですね。)
国産ジーンズの生き字引そのものの工場で、今日もサキュウは生まれています。
サキュウが東北で作っているのは、東北の方が児島より何かが秀でているとかではなく、私の前職がエドウィンだった事に関係します。
エドウィンは青森・秋田・宮城に生産基地があったので、その時のお付き合いが今でも続いているだけで、自然な流れによります。